高萩競馬場(茨城県)
1928(昭3)年〜1934(昭9)年

この地域での競馬も古く

元禄9年と10年に二台藩主徳川光圀が競馬を上覧したとの記録が残り
村松大神宮の「浜降り(磯出祭札)」に加えられた「競馬祭」を磯崎で見物したという


村々から出された6頭の馬が、村松大神宮付近の海岸をスタートし
酒列磯崎神社付近までの2里8町の海岸線を競争しゴールに鉾を突き刺して
農作物や漁猟の豊凶を占う神事として行われた競馬である



秋山村、島名村、安良川村、高萩村と、伊師村の一部が合併して、松原町となり
その後、松原町が高萩町と改称する頃
明治以降炭鉱の町として栄えていた高萩に
1928(昭3)年:地元有志により競馬のコースを設け、
高萩競馬場が開催された

昭和4〜6年と開催されるが
十分な施設でもなく、また交通の便の悪さから


1932(昭7)年:
高萩競馬場での競馬開催は休場とする

1934(昭9)年:那珂川べりの霞町(現:根本町)に新設された
市営水戸競馬場にその機能を移管し、高萩競馬場での開催は廃止に至る



茨城県多賀郡高萩町